HASEGAWA LETTER 2024 年( No.42 )/ 2024.07

カオリ to ミライ

昆虫が教えてくれる
匂いの世界 ~嗅覚のしくみに倣った匂いセンシング技術~

東京大学先端科学技術研究センター特任准教授 
光野秀文

さまざまな匂いを感じることができる昆虫の嗅覚。このしくみを理解し活用することができれば、昆虫のように匂いの世界を感じられるのではないか。昆虫の嗅覚のしくみが少しずつ理解され、近年、そのしくみを活用したセンシング技術が提案され実用化を見据えた研究開発も展開されようとしている。ここでは、昆虫が備える嗅覚のしくみを紹介するとともに、そのしくみに倣って開発を進めている匂いセンシング技術を紹介する。
  • 2024 年( No.42 )
  • カオリ to ミライ

昆虫の“嗅覚”との出会い

 私は今も、子供のころと同じように、虫取りに出かけている。幼いころからの虫好きが高じて、昆虫の研究への道を歩みだした。昆虫の“嗅覚”のすごさに出会ったのは、大学院生時代である。カイコガのメスに誘引されるオスはとにかく凄まじい。普段は全く動かないカイコガのオスがメスがいると猛烈に羽ばたきはじめ、そしてメスに向かって歩きだす。昆虫は目に見えない匂いを感じとって生きていることを肌で感じた瞬間である。この匂いの感覚のしくみをぜひ科学的に明らかにしたいと思い、昆虫の嗅覚の研究者となった。
 昆虫が感じとる匂いの世界はとても面白い。カイコガの例のように、ガ類のオスは同じ種のメスが発する性フェロモンに惹き付けられて交尾する。また別の例では、寄生蜂は食害を受けた植物が発する匂いを検知して、宿主となるガ類幼虫を見つけ出す。いずれも匂いの検知によって成し遂げられる行動である。その匂いは人には感じとれないほどの匂いなのかもしれないが、昆虫にとっては生命、そして種の維持に関わるきわめて重要な匂いなのである。これらのしくみを理解し利用することができれば、われわれも昆虫と同じように、匂いの世界が見えてくるのではないだろうか。早速、昆虫の嗅覚のしくみから紹介する。その魅力を少しでも感じとっていただければ有り難い。

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昆虫がもつ優れた嗅覚

 われわれ人間と同じように、昆虫も“匂い”を感じることができる。昆虫は多様な化学物質が存在する環境でその生命を維持し繁殖してきた。地球上には100万種以上の昆虫種が生息するとされ、それぞれが生息環境に合わせて匂いの感覚を進化させてきた。例えば、キイロショウジョウバエ(図1)は餌として食物の匂いを感じることができ、ハマダラカは宿主となるヒトの匂いを検知する1, 2)。昆虫の嗅覚は感度にも優れ、例えばカイコガでは、理論的にたった170分子の性フェロモンが存在すれば、メスを検知できるとされる(図2)3)
 また、多様な匂いを検知することも可能である。ミツバチは砂糖に口吻を伸ばす吻進展反射を示すが、匂いを同時に提示すると匂いと味(砂糖)との間に学習が成立し、その匂いを提示するだけで吻進展反射を示すようになる。この原理を利用して爆発物である2,4-ジニトロトルエン(爆発性を有する物質)をもpptオーダの感度(parts per trillion;pptは1兆分の1を表す)で検知することができる4)
 さらに、森林火災を見つけ出し産卵するナガヒラタタマムシは、その触角で火災の臭気成分である2-メトキシフェノールを検出する5)。このように昆虫は、身近なものから人間が嗅ぐことができない物質まで多様な“匂い”を超高感度に検出する能力を備えている。人工的な既存のセンサではこのような匂いの検出は難しく、昆虫が実に驚異的な嗅覚を備えていることが分かるかと思う。

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昆虫が匂いを感じるしくみ

 昆虫には人間の鼻に相当する器官として触角を備え、主にこの触角で環境の匂いを検知している。触角表面上には、嗅感覚子と呼ばれる多数の孔(嗅孔)の開いた突起が生えており、その内部に嗅覚受容神経が伸びている。匂い分子は嗅感覚子表面の嗅孔を透過して内部にはいりこみ、嗅覚受容体へと到達する。昆虫の嗅覚受容体は哺乳類とは異なる特徴的な構造をとっており、共受容体(Olfactory receptor co-receptor;Orco)とともに、イオンチャネルを形成する(図3)6)
 このイオンチャネル型の嗅覚受容体の匂い情報の伝達のしくみは、Gタンパク質共役型として機能する哺乳類のものとは全く異なる。昆虫では、化学感覚に関わる受容体(イオノトロピック受容体:IR、味覚受容体:GR)も、嗅覚受容体と同様に、イオンチャネルとして機能している。このような昆虫の化学感覚の受容体は、匂い分子が結合するとそれ自体が構造変化を起こして陽イオンを透過する装置として働く。すなわち、匂い情報をイオン透過(イオン電流)に変換する素子として機能している。このイオンの透過により、嗅覚受容神経が活動電位を発生して、匂いの情報を脳内の触角葉に伝える。触角葉では、嗅覚受容神経から伸びた神経線維が塊(糸球体)を作ってブドウの房のような構造をしている。同じ嗅覚受容体を発現する嗅覚受容神経は同じ糸球体へと投射され、この糸球体の空間的、時間的な応答パターンが高次中枢で処理されることで、匂いの情報を認識している7)
 キイロショウジョウバエの遺伝子組換え体を用いた研究から、各嗅覚受容神経の匂い応答特性は嗅覚受容体に従うとされていることから、触角葉では糸球体の応答パターン、すなわち嗅覚受容体の応答パターンで表現されている。昆虫の多くの行動が匂いによって決定されその生命を維持してきたことを考えれば、嗅覚受容体の特性が昆虫にとってきわめて重要なものであり、その性能を進化の過程で磨いてきたのかを理解することができる。

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共受容体(Olfactory receptor co-receptor;Orco)
昆虫の嗅覚受容神経で嗅覚受容体とともに匂い分子の受容やシグナル伝達の役割を担う膜タンパク質。

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触角葉
昆虫の触角の嗅覚受容神経から投射される匂い情報を処理する脳内の一次中枢領域。

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昆虫の嗅覚のしくみを利用した
各種匂いセンシング技術

 昆虫の嗅覚センサの実体である嗅覚受容体の機能を再現することができれば、人間が検知できない化学物質をはじめとする環境中の多種多様な匂いを、昆虫のように超高性能で検出するセンサが開発できるに違いない。このような夢を実現するために、筆者らは昆虫の嗅覚受容体を活用した匂いのセンシング技術の開発に取り組んできた。
 昆虫の嗅覚受容体は、匂い応答時にイオン電流を発生する。そのため、昆虫の嗅覚受容体が発生するイオン電流を計測することができれば、匂い情報を電流変化値として検知するセンサを開発できる。このような考えにもとづき、昆虫の嗅覚受容体を活用した初めての匂いセンシング技術として、アフリカツメガエル卵母細胞を用いた“匂いセンサ”を開発した。アフリカツメガエル(Xenopus laevis)の卵母細胞はイオンチャネルの機能解析の宿主としてしばしば用いられる細胞で、約1 mm程度の巨大な細胞であることを活かして、イオンチャネルで生じるイオン電流をガラス電極の刺入で計測することができる。カイコガの性フェロモン受容体を発現させた例では、半自動的に卵母細胞を電極間にセットするデバイスと統合することで、性フェロモン添加した際のイオン電流を計測できる匂いセンサを開発した8)。本匂いセンサは小型で携帯性に優れ、ロボットの鼻として搭載できることも実証してきた。これにより、昆虫の嗅覚受容体を活用することで匂いセンサが開発できることを世界に先駆けて示された。
 一方、目に見えない匂いの情報をより簡便に検出する方法として、カルシウムイオンの変動を計測するカルシウムイメージング法の原理にもとづいて、匂いを蛍光強度で可視化する“センサ細胞”の技術も提案してきた9)。センサ細胞では、昆虫の嗅覚受容体とOrcoが構成するイオンチャネルの匂い応答時に流入するカルシウムイオン濃度を細胞内の蛍光タンパク質で検出するしくみを構築することで、対象臭が存在すれば細胞自体の蛍光応答として可視化できる。現在までに、さまざまな昆虫種の嗅覚受容体を導入することで、昆虫が異性との交信に利用する“性フェロモン”の検出だけでなく、水道水のカビ臭成分の一つであるジェオスミン、キノコの香気成分である1-オクテン-3-オール、花の香気成分である酢酸ゲラニル、汗の匂い成分とされる2-メチルフェノールなど、遺伝子導入する受容体の選択性に従ってさまざまな対象成分を検出できるセンサ細胞の作出に成功している10)。このように、昆虫の嗅覚受容体を活用することで、匂いの情報を可視化する技術の開発も可能となってきた(図4)。
 さらに、遺伝子組換え技術を活用することで、気体状の対象臭を検知して匂い源を探索する“センサ昆虫”を作り出すことも可能である。カイコガオスは、メスが放出する性フェロモン(ボンビコール)を超高感度に検知する(図2)。カイコガオスによる性フェロモン受容のしくみが明らかにされ、触角で機能するボンビコール受容体(BmOR1)が嗅覚受容神経を活性化することで、オスは配偶行動を引き起こすことが分かってきた。そこで、ボンビコール受容神経で目的の嗅覚受容体を機能発現させれば、その嗅覚受容体が結合する対象臭を検出できるはずである。この原理にもとづいて、別のガ種であるコナガの性フェロモン受容体をボンビコール受容神経に導入した遺伝子組換えカイコガを作出し、コナガメスを探索できるセンサ昆虫の作出に成功した11)。このように、遺伝子組換え技術を活用することで、対象臭を検出してその発生源を探索するセンサ昆虫の作出技術が達成されている。

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カルシウムイメージング法
カルシウムイオンと結合して蛍光するプローブを用いて、細胞内のカルシウムイオン濃度やその動態を観察する手法。

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匂いセンシング技術としての応用

 センサ細胞は、対象臭に対して蛍光応答を示す。この蛍光応答を取得できる計測器と統合することで、センサ細胞の実用化技術の開発に取り組んでいる(図5)。その一つが、センサ細胞を小型蛍光計測機と統合した“匂い検出キット”である。匂い検出キットは、センサ細胞をガラス基板に固定した細胞固定化カートリッジと卓上型フルオロメータから構成される。ジェオスミンを検出するセンサ細胞を固定したカートリッジを作製することで、水道水源に混入するジェオスミンを検出できることを実証してきた。本キットは小型で持ち運びできるため、水道水源であるダム湖に導入して、現場で簡便に水に含まれるカビ臭を検出できることを実証しており、今後、カビ臭混入を早期発見できる簡易検査技術として実用化を見据えた研究に取り組んでいる12)

 もう一つの技術として、農作物のカビ汚染の検出を目指したカビ複合臭の識別技術の開発にも取り組んでいる(図6)。センサ細胞は導入する受容体の性質に合わせて異なる匂い成分に反応することから、異なる応答特性を備えた複数種類のセンサ細胞をアレイ化することで、単一臭や複合臭を蛍光パターンで識別することができる。現在までに、ムギのカビ汚染(かび病)で発生するカビ臭成分(1-オクテン-3-オール、3-オクタノール、3-オクタノン)に蛍光応答を示すセンサ細胞を同一プレート上にアレイ化することで、各センサ細胞の蛍光パターンにもとづいてカビ汚染を識別できる可能性を示してきた13)。この技術により、農作物のカビ汚染やかび病を判定する応用技術へと展開を進めている。

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フルオロメータ
対象サンプルの蛍光の強度を取得する計測機器。

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アレイ化
複数の素子(ここではセンサ細胞)を配列すること。

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昆虫の嗅覚の再現とその未来へ

 昆虫は生物の中でも優れた嗅覚を備えており、その嗅覚を活用することで、さまざまな対象臭を検出できる嗅覚センサの可能性がでてきた。地球上に100万種以上生息するとされる昆虫種の多様さから考えると、昆虫種がもつ嗅覚受容体の数は生物の中でも圧倒的に多いと想像できる。これらの嗅覚受容体が活用できるようになれば、前に述べたように、カビ臭検知による食の安全確保から、爆発物検知によるセキュリティ対策、ヒト検知による人命探索などのさまざまなニーズに応えられる嗅覚センサを提供できる可能性が高い。また、ロボット技術との統合により、匂い源探索ロボットやヒューマノイドロボットの開発などその可能性をさらに広げることができる。このように、昆虫の嗅覚センサの実現は、これまでに述べてきたニーズに加えて、将来起こりうる社会課題に対しても新しい答えを導き出すことができるのではないだろうか。
 また、今回紹介した嗅覚センサは、昆虫の嗅覚受容体を再構築して開発していることから、昆虫と同じように匂いを検知できるといえる。そのため、センサ出力の評価系を構築しその応答を低減する薬剤を探索すれば、昆虫の嗅覚応答を抑制する薬剤の探索も可能である。その一例として、センサ細胞の蛍光応答を低減する“匂い”を探索したところ、その“匂い”でカイコガオスの性フェロモンに対する配偶行動を低下させることが可能であった。このことは、“匂い”で、害虫を殺虫することなく行動制御できる可能性を示しており、自然共生のための一つの手段として嗅覚センサを活用できることを示唆している。ここで示した嗅覚センサの活用例はごく一部に過ぎないが、その実用化が現実となってきた現在、さらなる応用研究も展開できるものと期待している。

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参考文献

  • 1)Hallem, E. A. et al. The molecular basis of odor coding in the Drosophila antenna. Cell. 2004, vol. 117, no. 7, p. 965-979.
  • 2)Carey, A. F. et al. Odorant reception in the malaria mosquito Anopheles gambiae. Nature. 2010, vol. 464, p. 66-71.
  • 3)Kaissling, K. E. R.H. Wright lectures on insect olfaction. Simon Fraser University, 1987.
  • 4)Bromenshenk, J. J. et al. Bees as biosensors: Chemosensory ability, honey bee monitoring systems, and emergent sensor technologies derived from the pollinator syndrome. Biosensors. 2015, vol. 5, no. 4, p. 678-711.
  • 5)Schütz, S. et al. Insect antenna as a smoke detector. Nature. 1999, vol. 398, p. 298-299.
  • 6)Sato, K. et al. Insect olfactory receptors are heteromeric ligand-gated ion channels. Nature. 2008, vol. 452, p. 1002-1006.
  • 7)Sakurai, T. et al. Molecular and neural mechanisms of sex pheromone reception and processing in the silkmoth Bombyx mori. Front. Physiol. 2014, vol. 5, article. 125.
  • 8)Misawa, N. et al. Highly sensitive and selective odorant sensor using living cells expressing insect olfactory receptors. Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 2010, vol. 107, no. 35, p. 15340-15344.
  • 9)Mitsuno, H. et al. Novel cell-based odorant sensor elements based on insect odorant receptors. Biosens. Bioelectron. 2015, vol. 65, p. 287-294.
  • 10)光野秀文ほか.“昆虫の嗅覚受容のしくみを活用した匂いセンシング技術”.匂い・香りの科学と評価・可視化・応用技術.サイエンス&テクノロジー,2023, p. 118-127.
  • 11)Sakurai, T. et al. A single sex pheromone receptor determines chemical response specificity of sexual behavior in the silkmoth Bombyx mori. PLoS Genet. 2011, vol. 7, no. 6, e1002115.
  • 12)Mitsuno, H.; Araki, S.; Fujibayashi, S.; Terutsuki, D.; Sakurai, T.; Yamaguchi, S.; Oguma, K.; Kanzaki, R.; Niki, S.; Sukekawa, Y. PCT/JP2020/033831. ODOR DETECTION KIT, ODOR DETECTION KIT MANUFACTURING METHOD, AND ODOR DETECTION METHOD. 2020.
  • 13)Sukekawa, Y. et al. Response Evaluation of Mold Odorant Mixture Using a Sensor Array of Cell-Based Odorant Sensor Based on Multiple Insect Olfactory Receptors. Proc. of ISOEN2024, 2024.

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