HASEGAWA LETTER 2019 年( No.38 )/ 2019.07

[ 技術研究レポート ]

春の訪れを香りで伝える
サクラ「春めき」 ~香りが開く社会への扉~

長谷川香料フレグランス研究所 大森祥弘

日本人に好きな花を聞いてみると常に上位に入るのがサクラである。サクラの品種は300種類とも400種類ともいわれるが、その中で香りの強い品種は限られている。本稿ではサクラの中でも極めて強い香りをもつ新品種「春めき」についての研究結果と、取り組みについて紹介したい。

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「春めき」との出会い

 出会いはまさに偶然であった。2015年3月、朝の情報番組を見ていると、天気予報とともに満開のサクラが目に飛び込んできた。初めは単なる早咲きのサクラかと思い見ていると、香りがあるとのこと。これは新しい発見かもしれないと食い入るようにテレビを見ると、視覚障害者の方が香りを嗅いで「春が来た」とコメントされているではないか。それほど香りが注目されるサクラは聞いたことがない。しかも早咲きで春の訪れを香りで感じられるサクラ、その名も「春めき」。これは実際に現地で香りを嗅ぐしかない。
 一般的に花の香りは満開をピークに変化し、弱くなっていくことが知られている。すでに満開を迎えているということは、今日にでも香りを確認しなければならない。幸いにも場所は当社総合研究所からも近い神奈川県南足柄市であり、午後にも現地入りできそうである。私は研究所に着くなり、上司に春めきの視察を申し出て、一路南足柄市に向かった。
 満開の春めきに近づくと「甘く、優雅で、パウダリーな香り」が離れていても感じられた。サクラとしては極めて強い香りを発しており、大変貴重な品種であることは間違いない。われわれは春めきの品種を開発した古屋富雄氏に、春めきの香り再現を目的とした香気分析を行いたいと申し出て、春めきの香りを研究させていただくこととなった。

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サクラの品種と香りのあるサクラ1)

 サクラといえばソメイヨシノが代表的な品種であり、日本全国にその名が知られている。ソメイヨシノの名は、2020年の東京オリンピックのマスコットキャラクター「ソメイティ」にピンク色のサクラのイメージとともにその名の一部を取り入れられるくらい、日本を代表するサクラの品種である。サクラ前線として開花予想が出されるのもこのソメイヨシノであり、日本におけるサクラとは一般的にソメイヨシノを指すようになっている。ソメイヨシノは江戸時代末期に江戸染井村(現在の東京都豊島区)にて開発、売り出された品種であり、明治時代から昭和初期にかけて全国的に植樹され、急速に広まった。
 ソメイヨシノ以外のサクラの品種も多種多様に存在するが、実際にはどのような品種のサクラがあるのだろうか?
 一般的にサクラとして認識されているものは、分類学上バラ科のサクラ亜科に含まれる樹木であり、日本のサクラは、主にサクラ属、バクチノキ属、エゾノウワミズザクラ属、スモモ属の4属に分類されるが2)、観賞用のサクラは主にサクラ属(Cerasus)に分類される(図1)。

 日本におけるサクラの野生種には、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラ、エドヒガン、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、ミヤマザクラ、カンヒザクラがあるが2)、クマノザクラが昨年新品種として発見され、話題となった。これら野生種のサクラは形態や開花時期などの特性から、ヤマザクラ群、エドヒガン群、マメザクラ群、カンヒザクラ群、チョウジザクラ群、ミヤマザクラ群の6群に分類される3)(図2)。

 一般的に野生種の花は香りが強く、ヤマザクラやオオシマザクラは香りの強い野生種として認知されている。ヤマザクラは花粉を想起させるパウダリーノートとラクトン様の香りが特徴であり、一方のオオシマザクラはチェリー様のフルーティ感やサクラの葉に代表されるパウダリーな芳香成分のcoumarinを思わせる甘さ、何よりもスズラン、ラベンダー、ベルガモット様の芳香をもつlinaloolのフレッシュなフローラル感が特徴である。これら香りのある野生種との交配により開発された園芸品種の中にも特徴的な香りを有する品種が存在し、ソメイニオイなど品種名に「ニオイ」が含まれるものがいくつか存在する(図3)。

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「春めき」の品種開発

 春の受験シーズン、合格発表の様子も時代の移り変わりがみられる。「サクラサク」という合格電報で故郷に喜びを伝える風物詩も過去のものとなり、オンラインで合格判定が発表される時代になったが、現代でも、サクラの花は新生活や入学式のシーズンに咲くものだというイメージは日本人の心に強く刻まれている。入学式の頃にはソメイヨシノが花開き、新入生を迎えるというイメージ図は想像しやすいものであるが、卒業式のシーズンにはまだサクラは咲いていないというのが世の中の理解であろう。「もし3月の卒業式シーズンに咲くサクラがあれば人生の門出を満開の花で送り出せる」そんな思いから開発された早咲きのサクラが春めきである。春めきは例年3月中旬に開花する。

春めき

 2000年に新たに品種登録された春めきの起源には不明な点もあるが、3月に花をつけるシナミザクラとカンヒザクラの交配種といわれており、早咲きの特性はこれらの品種に由来する。春めきはぼんぼりのように花が密集して咲くことが特徴の一つであり、花弁の濃いピンク色と相まってボリューム感のあるサクラである。
 春めきの開発者である古屋富雄氏はこの春めきの早咲きの特性を生かし、2011年より「卒業生を送るサクラ」として全国の小中学校に寄贈する活動をされており、2019年現在、南足柄市を中心に全国で2000本以上の春めきが植樹されている。当社では総合研究所、深谷事業所に合計6本の春めきを植樹し、毎年3月には数多くの社員がその花の美しさと香りを楽しんでいる。

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「春めき」の香り

 春めきの最大の特徴はその香りにある。その香りの質は「甘く、優雅で、パウダリーな香り」であるが、ほかの香りのあるサクラと比べてどのような成分が特徴となっているのであろうか。香りのあるサクラとして認知されているオオシマザクラと比較してみたい。

●アクアスペース®法による分析

 春めきとオオシマザクラ(いずれも長谷川香料総合研究所にて香気捕集)のアクアスペース®法(付録参照)による分析をした(図4)。
 オオシマザクラと春めきでは検出された成分の数や種類に差は少ないものの、その成分バランスに顕著な差がみられる。オオシマザクラで最も特徴的に検出されている成分はlinaloolであり、独特の爽やかなフローラル感の主要因となっている。
 春めきはlinaloolのバランスが少なく、チェリーのようなフルーティ感を想起させるbenzaldehydeや、フレッシュなフローラル感に寄与するp-cresyl methyl ether、バラやハチミツのような芳醇なフローラル感を与える2-phenylethyl alcohol、phenylacetaldehyde、phenylacetic acid、甘く力強いパウダリー感に貢献しているanisaldehyde、methyl anisateなどが香りの大きな特徴となっている。また微量ながら重要香気成分としてバニラ様の香気をもつvanillinも検出されており、甘さのあるパウダリー感をさらに高めている。これらの特徴成分が見いだされた春めきの香りはオオシマザクラの香りに比べて甘さ、パウダリー感が特徴といえる。

●AEDA法による探索

 春めきの特徴的な成分をさらに追究するために、AEDA法により香気貢献度の高い成分を探索した。AEDA(Aroma Extract Dilution Analysis)法とはGC-Olfactometry(GC Sniffing)の応用技法であり、主に天然物のヘッドスペースや抽出物から得た香気濃縮物を段階的に希釈し、sniffingを行うことで香気濃縮物における各成分の香気貢献度を評価する手法である。
 検出された各成分のFD値は、数値が大きいほどその成分が低濃度でも香気が感じられ、香気貢献度が高いことを示している(図5)。アクアスペース®法による春めきの存在割合の最も大きな成分はbenzaldehydeであったが、benzaldehydeは、AEDA法によるスクリーニング過程で香気貢献度が高くないと判定され、FD値5以上の成分一覧にはリストアップされていない。その一方で見いだされた成分の中で最も貢献度が高い成分はanisaldehydeであり、文字通り桁違いの貢献度であった。ほかのサクラの品種との大きな違いである甘さやパウダリー感はこのanisaldehydeと、成分量として極めて少ないがFD値が5と比較的貢献度が高いという結果を得たバニラ様の甘さをもつ重要香気成分vanillinによるところが大きいという結果が得られた。

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「SAKURA」の香り 
~「春めき」の再現~

 サクラの香りをうたった商品はすでに数多く発売されており新春から早春にかけて、ドラッグストアやスーパーマーケットなどをにぎわす風物詩となっている。やはり生活者にとってサクラはなじみ深い花であり、何より日本人はサクラが好きなのだなと感じる季節である。一方海外の香水、化粧品、日用品市場を見渡しても、「SAKURA」の香りを用いた商品は多数販売されており、「SAKURA」の知名度は非常に高い。近年では日本の花見も「HANAMI」として紹介されるなど、サクラは世界に対して強いアピール力のある「和」の素材である。
 当社では独自技術であるアクアスペース®法を用いて分析し、極めて香りの強いサクラの新品種である春めきの香りを再現した。調香師のクリエーション技術を加えて完成した アクアスペースアロマ® 春めきは、anisaldehydeと柔らかなアニス様の香気を有するmethyl anisateを中心としたパウダリー感、甘さ、ボリューム感に寄与するバニラ様のvanillinとフルーティ感のあるラクトン類、チェリー様香気を有するbenzaldehydeとフレッシュなリーフィーグリーンノートであるcis-3-hexenolなどを組み合わせた、甘く、優雅で、パウダリーな香りである(図6)。

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香りで社会に貢献する

 春めきの開発者である古屋富雄氏は、春めきを中心とする植物の品種、品種改良の普及、視覚障害者支援を目的として設立された一般財団法人春めき財団の理事長を務めている。同財団では、商品開発と連動した社会貢献プログラムを実施しており、長谷川香料は開発した春めきの香りを通じて、このプログラムに参加し、香りによる社会貢献の一端を担っている(長谷川香料ホームページ「社会貢献活動 > 春めき財団プログラム」参照)。
 今後も、春めきの香りを使用した製品が数多く発売され、消費者の方々に届けられることによって、視覚障害者をはじめとするハンディを背負った方々への香りのサポートを続けていきたい。
◎アクアスペース、アクアスペースアロマは、長谷川香料株式会社の登録商標です。

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付録:アクアスペース®

 アクアスペース®法とはヘッドスペース分析法の一つで、加湿空気を用いた長谷川香料独自の香気捕集方法である。
 アクアスペース®法は朝もやのかかった高原での生き生きした緑の香りや、朝露にぬれた花から感じられるみずみずしさをヒントに考案された手法であり、加湿空気をキャリアとして用いることで通常のヘッドスペース法に比べて植物にストレスを与えず、フレッシュでみずみずしさに寄与する成分のバランスの良い香気捕集が可能な技法である。

 当社には、アクアスペース®法による分析と調香師の感性の融合によるナチュラルな香りを再現したアクアスペースアロマ®シリーズがある。そのラインアップは花のみならず、フルーツやハーブも取りそろえられている。さまざまなフレグランス製品に自然でみずみずしい香りを付与することができる当社独自の製品である。

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参考文献

  • 1)長谷川香料株式会社.HASEGAWA LETTER.2013, no. 32, p. 18-23.
  • 2)大橋広好,門田裕一,邑田仁,米倉浩司,木原浩編.改訂新版 日本の野生植物 3 バラ科~センダン科.平凡社,2016.
  • 3)大場秀章,川崎哲也,田中秀明,木原浩.新日本の桜.山と溪谷社,2007.

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