HASEGAWA LETTER 2023 年( No.41 )/ 2023.07

自然科学香話

赤ちゃんの匂いと体臭の不思議 ~幸せなコミュニケーションをもたらす身近な香りのはなし~

東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻生物化学研究室特任助教
白須未香

香りは、人の心理・生理・情動・行動にさまざまなレベルで作用し、衣食住のあらゆる生活場面において、生活の質を左右します。コロナ禍におけるマスク生活が終わりを迎えつつある今、五感の中で最も外界と遮断されていた嗅感覚が解放され、改めて生活空間に漂う香りの果たす役割の重要性が見直されています。われわれ研究チームは、人と人のコミュニケーションを豊かにする香りの探究を行っており、そのキーとなる成分が実は私たちの体臭にあるのではないかと考えています。今回、誰もがほっとするという“赤ちゃんの匂い”に注目した研究を中心に、体臭が私たちのコミュニケーションに果たす役割について紹介したいと思います。

  • 2023 年( No.41 )
  • 自然科学香話

コミュニケーションにおける体臭の役割

 現代社会においては、体臭イコール悪とみなされて敬遠されがちなところがあります。しかし、広く動物界を見渡してみると、さまざまな種において、自身の放つ匂いである体臭が、属性(群・種・社会的ランク)、縄張り、生理的状態(繁殖可能性・病気)、危険などを知らせる重要な役割を担っていることは広く知られています。
 一方、視聴覚機能が優れているという理由から、嗅覚の重要性が軽視されてきた霊長類においても、同種個体の発する体臭が生理的状態を伝える手段として利用されていることが近年示されつつあります。
 そこで、マダガスカル島の固有種として知られるワオキツネザルの匂いを利用した特徴的な行動からヒントを得て、雌雄間コミュニケーションに関わる可能性がある体臭成分を同定しました1)。ワオキツネザルのオスは繁殖期になると、腕にある臭腺から透明な液を分泌しその特徴的な白黒の尾に分泌液をこすりつけて、メスに向けて尾を大きくゆらすような行動(尾ゆらし行動)をみせます(図1)。

 行動観察により繁殖期のオスの分泌液の匂いをメスが興味をもって嗅ぐことが分かりました(図2A)。次にガスクロマトグラフ質量分析装置を用いて繁殖期と非繁殖期の分泌液の比較分析を行いました。すると、繁殖期には、シトラス・フローラル様のとてもよい香りの3種類のアルデヒド化合物が増加し(図2B)、さらにその匂いに繁殖期のメスが興味を示すことが明らかになりました。なお、高齢のオスでは成熟した若いオスに比べてそれらの量が減る傾向にあります。以上の結果は、霊長類であっても、個体間のコミュニケーションに、積極的に体臭由来の匂いを用いている可能性を示すものです。

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ガスクロマトグラフ質量分析装置
本装置は、物質の成分を調べる機械です。まず、物質をガス成分にして、カラムと呼ばれる細い管に入れます。ガス成分は、カラムへの吸着のしやすさによって時間差でカラムから出てきます。次に、カラムから出てきた成分を電気でぶつけて、イオンという電気を帯びた粒子にします。イオンは、重さと電気の量によって分類できます。この分類をするのが質量分析部です。質量分析部は、イオンの重さと電気の量を測って、どんな成分かを判別します。このようにして、ガスクロマトグラフ質量分析装置は、物質の成分を調べることができます。

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私たち自身がもつ匂いの力

 動物たちは体臭由来の匂いを使用してコミュニケーションをとっています。ではヒトではどうでしょうか。実は、過去の研究をひも解くと、私たちが想像以上に自分たちの体臭から情報を得ていることが分かります。例えば、他人と握手した後や、他人の体に触れた後には自分の手の匂いを嗅ぐ行動が増えることが明らかになっています2,3)。これらの行動は、無意識のうちに行われることが多いのですが、他人の情報を視聴覚に加えて、嗅覚から得ていることを示唆するといえます。また、例えば、スカイダイビングなどのストレスが高くなる場面で捕集した体臭を嗅がされた人は、曖昧な表情の顔画像に恐怖を感じることや4)、不安や緊張状態が高まることが報告されています5)。これは、ストレス状態にある個体の体臭が、受け手にネガティブな情動を伝染させることを意味します。男女間においても、男性は排卵期女性のわき臭を快く感じ、パートナーとなりうる個体の適性を見極めているという知見がありますし6)、女性はパートナーがいる男性の体臭よりも独身男性の体臭の匂い強度を強く感じ7)、自分と異なるヒト白血球抗原遺伝子(HLA)を持つ男性の体臭を好むことも示されています8)。ヒトの配偶者選択でも、異性の体臭は、有益な情報をもたらしているといえるのかもしれません。このように、体臭は人の印象に関する知覚や認知に影響を与え、円滑なコミュニケーションを図る上で重要な役割を果たしていると考えられます。

 もう少し身近な例を挙げます。さまざまな年代の方に、身の回りのどんな香りが好きか? という自由記述アンケートを取ったところ、日常使用している香粧品の香りや草花などの自然の香りも多く挙げられましたが、その一方で、「赤ちゃんの優しい匂い」「子供のひなたのような匂い」「配偶者の洋服の匂い」というように体臭に起因する匂いが上位にランクインしてきました。私たちが生まれながらにまとっている体臭には、くさいから消すというネガティブな側面だけでなく、“愛おしい・好き”というようなポジティブな側面が存在することは間違いないようです。このように、心理面や行動面での変化をもたらすヒトの体臭ですが、残念なことに、体臭中のどの匂い成分がそのような効果を持つのかは明らかになっていません。
 そこで、世代を超えてポジティブなイメージと結びつくことの多かった“赤ちゃんの匂い”に着目し、そもそも、「赤ちゃんに特有の匂いがあるのか?」「赤ちゃん特有の匂いがあるとしたら、それは、親子間のコミュニケーションに関与するのか?」を検証することにしました。

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親と子の匂いコミュニケーション

 親子の間で、実際に体臭を介したコミュニケーションは行われているのでしょうか。2003年、母ウサギの乳に含まれる2-メチル2-ブテナールという匂い成分が、仔ウサギの乳首を強く吸う行動を促すという論文が発表され、親子間で機能するフェロモン物質の発見ということで非常に話題になりました9)。以降、ヒトにおいても、母親の初乳や母乳の匂いが、新生児の顔を乳房に向ける効果を有し、新生児を落ち着ける効果があるという報告が複数なされています。加えて、新生児は自らの母親の母乳と他人の母乳を区別できることも分かっています10-12)
 ウサギでの研究は、母乳中の匂い成分にすべての赤ちゃんに対して共通して効果のある匂いシグナルの存在を示唆するものですし、ヒトでの研究においても、母乳の匂いには赤ちゃんが区別できるほどの個人差があることを意味します。その後、現在までにヒトの母乳を対象とした成分分析研究が精力的に行われていますが、どのような成分が上記のシグナル効果や個人差に寄与しているかは明らかになっていません。
 では、逆に子が親に向けて発する匂いシグナルはあるのでしょうか。もともと、ヒトにおいては、乳幼児期特有の大きな額や、笑顔、泣き声といった視聴覚シグナルが、大人に可愛いという感情の発露や保護行動を促し、また報酬に関わる脳領域が賦活化されることが示されていました。最近、マウスやヤギにおいて、仔の特定の匂いシグナルが親の養育行動を引き起こすことが明らかになってきましたが、実はヒトにおいても、経産女性が、新生児の着用した産着の匂いを快く感じ13)、その匂いは脳内の報酬系領域を賦活させるという報告があります14)。つまり、赤ちゃんの匂いは、母子間の絆形成に関わるポジティブな匂いシグナルとして、視聴覚シグナルと相乗効果的に機能している可能性が考えられます。しかし、子から親への匂いシグナルの正体については不明でした。

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赤ちゃんの愛おしい匂いの源は?

 母子間の絆形成に関わるポジティブな匂いシグナルとは何か、“赤ちゃんの匂い”の正体を探るべく、6歳未満の未就学児を持つ父母約2000名を対象として、日常の育児において自分の子の匂いをどのように感じているのかについて詳細なインターネット質問紙調査を行いました(図3)15)
 その結果、全般的に父親より母親において子の匂いを嗅いだ経験を有する人の割合が高く、中でも0歳児の母親は、日常の育児で子供の匂いによく気付き、自発的に嗅いでいることが分かりました。また、0歳児の母親が最もよく嗅ぐ体の部位は、赤ちゃんのお尻と頭部で、お尻はオムツ交換など衛生ケアのために、頭はよい匂いがする、愛おしいなどの愛着に関わる理由で嗅いでいることが明らかになりました。この調査から、“赤ちゃんはほんわりと優しい匂いがする”という世間がぼんやりと抱いている共通の認識の正体が、0歳児の頭部の匂いに由来するのではないかと考えられました。

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体臭を研究することの難しさ

 前章の調査結果をもとに、赤ちゃんの頭部にターゲットを絞り、子から母へのシグナルとなり得る匂い成分の同定を目指すことにしました。20世紀後半からこれまで、ヒトを対象とした体臭研究は、香粧品メーカーなどによる汗や皮脂に起因する不快臭の軽減を目的としたものや、医療業界において特定の病気(がん、糖尿病、肝臓疾患、遺伝疾患など)に対する非侵襲的診断のためのマーカー探索、いわゆるヒトフェロモン様の原因物質同定を目指して、精力的に行われています。ヒトの皮膚からは400種類以上の匂い成分が検出されていますが、実際に、体温下で肌から揮発して体臭として寄与している主成分は約20~90成分(脂肪酸、エステル誘導体、アルデヒド、アルカン、アルコール、ケトン)とされています。それらの成分以外にも、匂い吸着剤などを用いて濃縮しないとうまく検出できないほどの微量成分もあり、また、環境要因(生活環境、香粧品、食事)、遺伝的背景、年齢、性別などの外的・内的要因の影響を受け個人差も大きいゆえに、体臭研究は非常に難しくかつ、統一見解が出にくい分野でもあります。上記の問題を乗り込えるべく、今回“赤ちゃんの匂い”を探索するにあたり、香粧品などの統制に加えて環境要因を最小限に抑えるために赤ちゃんと生活環境を共にする母親を匂い捕集の際の対照群とすることにしました。

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非侵襲的診断
身体に器具の挿入などの負担を与えず、病気を診断する方法です。例えば、呼気周期測定や超音波検査、MRI検査などがあります。

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マーカー探索
生体内に存在する特定の物質(バイオマーカー)を検出することで、疾患の診断や治療効果の評価を行う方法です。

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ヒトフェロモン様
フェロモン物質は、揮発性の化合物やペプチド性(小さなタンパク質)のものがあり、多くの哺乳類では、鼻腔下部(上あごの上側)に位置する鋤鼻器(じょびき)に発現する鋤鼻受容体で受容されます。フェロモンは、古典的には「ある個体から発せられ、同種の別個体が受容し、その個体に、ある特定の行動を引き起こす、もしくは生理的効果をもつ」と定義されますが、ヒトにおいて厳密にその定義を満たす物質は未だ同定されていません。

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赤ちゃんの匂いの正体とその効果

 “赤ちゃんの匂い”を探索するために、乳児とその母親のペアそれぞれの頭部の匂いを、外気を遮断し特殊な捕集剤を用いて回収し、ガスクロマトグラフ質量分析装置で分析しました(図4A)。母子の頭部から検出された成分を比較すると、赤ちゃんにおいて有意に多く発せられる匂い成分が複数存在することが分かりました(図4B)。また、成長に伴いこれらの匂い成分量は、母親と同レベルになる傾向にありました。これは、今回見いだされた成分が、乳児に特徴的な匂い成分であることを支持します。
 次にこれらの成分の生理効果を、内分泌物質のオキシトシンの体内変動に着目して検証することにしました。オキシトシンは、愛情や絆の形成に関わるホルモンとして知られ、その分泌量上昇は、他者への信頼感を増し、射乳や子宮収縮を起こすことが知られています。なお、脳内で分泌されるオキシトシンは、血液・尿・唾液などで検出することができます。経産女性に、乳児で多く検出された匂い成分を、乳児の頭部から発せられる成分構成比にそろえたモデル臭“赤ちゃんミックス”を嗅いでもらい、その試行前後で尿を採取し、尿中のオキシトシン量を測定したところ、オキシトシン量が有意に上昇することが分かりました(図4C)(論文投稿中、特許出願済)。

 現在、匂いの生理効果の神経基盤を明らかにする目的で、“赤ちゃんミックス”を嗅いでいる時の脳機能計測も進めており、赤ちゃんの匂いによりオキシトシン分泌が生じる脳内メカニズムも明らかになるかもしれません。体臭が、その匂いを嗅いだ他者の心理状態や生理状態に影響することは知られていたものの、匂い成分を特定した上でその効果を示したのは本研究が初めてであり、研究結果は、匂いを介した母子間ミュニケーションの実証として非常に重要といえます。今回同定された“赤ちゃんの匂い”は、私たち人間が有している体臭に含まれる成分です。このように、ヒトが本来持っている体臭の中から、ポジティブな効果を有する匂い成分を見いだすことができれば、実際に香粧品に実装する際にも、香害や化学物質過敏症といった問題を比較的クリアしやすく、一歩進んだ香り商品デザインの提唱ができるのではないでしょうか。

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参考文献

  • 1)Shirasu, M.; Ito, S.; Itoigawa, A.; Hayakawa, T.; Kinoshita, K.; Munechika, I.; Imai, H.; Touhara, K. Key male glandular odorants attracting female ring-tailed lemurs. Curr. Biol. 2020, vol. 30, no. 11, p. 2131-2138. e4.
  • 2)Perl, O.; Mishor, E.; Ravia, A.; Ravreby, I.; Sobel, N. Are humans constantly but subconsciously smelling themselves? Philos. Trans. R. Soc. B Biol. Sci. 2020, vol. 375, no. 1800, 20190372.
  • 3)Frumin, I.; Perl, O.; Endevelt-Shapira, Y.; Eisen, A.; Eshel, N.; Heller, I.; Shemesh, M.; Ravia, A.; Sela, L.; Arzi, A.; Sobel, N. A social chemosignaling function for human handshaking. Elife. 2015, vol. 4, e05154.
  • 4)Zhou, W.; Chen, D. Fear-related chemosignals modulate recognition of fear in ambiguous facial expressions. Psychol. Sci. 2009, vol. 20, no. 2, p. 177-183.
  • 5)Albrecht, J.; Demmel, M.; Schöpf, V.; Kleemann, A. M.; Kopietz, R.; May, J.; Schreder, T.; Zernecke, R.; Brückmann, H.; Wiesmann, M. Smelling chemosensory signals of males in anxious versus nonanxious condition increases state anxiety of female subjects. Chem. Senses. 2011, vol. 36, no. 1, p. 19-27.
  • 6)Singh, D.; Bronstad, P. M. Female body odour is a potential cue to ovulation. Proceedings. Biol. Sci. 2001, vol. 268, no. 1469, p. 797-801.
  • 7)Mahmut, M. K.; Stevenson, R. J. Do single men smell and look different to partnered men? Front. Psychol. 2019, vol. 10, 261.
  • 8)Jacob, S.; McClintock, M. K.; Zelano, B.; Ober, C. Paternally inherited HLA alleles are associated with womenʼs choice of male odor. Nat. Genet. 2002, vol. 30, no. 2, p. 175-179.
  • 9)Schaal, B. et al. Chemical and behavioural characterization of the rabbit mammary pheromone. Nature. 2003, vol. 424, no. 6944, p. 68-72.
  • 10)Marlier, L.; Schaal, B.; Soussignan, R. Orientation responses to biological odours in the human newborn. Initial pattern and postnatal plasticity. C R Acad Sci III. 1997, vol. 320, no. 12, p. 999-1005.
  • 11)Marlier, L.; Schaal, B.; Soussignan, R. Neonatal responsiveness to the odor of amniotic and lacteal fluids: a test of perinatal chemosensory continuity. Child Dev. 1998, vol. 69, no. 3, p. 611-623.
  • 12)Loos, H. M., Reger, D.; Schaal, B. The odour of human milk: Its chemical variability and detection by newborns. Physiol. Behav. 2019, vol. 199, p. 88-99.
  • 13)Fleming, A. S.; Corter, C.; Franks, P.; Surbey, M. et al. Postpartum factors related to mother’s attraction to newborn infant odors. Dev Psychobiol. 1993, vol. 26, no. 2, p. 115-132.
  • 14)Lundström, J. N.; Mathe, A.; Schaal, B.; Frasnelli, J. et al. Maternal status regulates cortical responses to the body odor of newborns. Front. Psychol. 2013, vol. 4, 597.
  • 15)Okamoto, M.; Shirasu, M.; Fujita, R.; Hirasawa, Y.; Touhara, K. Child odors and parenting: A survey examination of the role of odor in child-rearing. PLoS One. 2016, vol. 11, no. 5, e0154392.

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