HASEGAWA LETTER 2020 年( No.39 )/ 2020.08

[ 技術研究レポート ]

ダージリン(Darjeeling)の地を訪れて ~マスカテルフレーバーとの出会い~

長谷川香料フレーバー研究所 
川口賢二

「紅茶のシャンパン」と称されるダージリンティーの中でも、最高品質を誇る時期に収穫されたセカンドフラッシュはマスカテルフレーバーと呼ばれる魅力的な風味があるといわれている。
ダージリンでの体験を報告するとともに、当社の紅茶フレーバーに対する最近の取り組みについて併せて紹介したい。
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ダージリンについて

 インド北東標高2,000m以上の山々が入り組んだヒマラヤ山麓に位置する(図1)。ネパール、ブータンに接し、北方約40km先には世界3位の高峰カンチェンジュンガ(8,586m)がそびえる。ダージリンは「Dorjee(神秘の稲妻)」と「ling(場所)」の二つの言葉に由来する。夏期の平均最高気温は摂氏25度前後、冬期の平均最低気温は摂氏5~8度。6〜9月は雨期となり、11~2月はめっきりと雨量は減り、しばしば水不足にみまわれる。付近の土壌はおおむね酸性で、茶樹育成に適した窒素やリンを豊富に含む。1)
 ダージリンは、1835年にシッキム王国からイギリスに譲渡され、保養地として開発され始めた。当時イギリス国内の紅茶消費は100%中国産に依存しており、この状況から抜け出すため、植民地インドやセイロンでの生産を始めていた。1840年、ダージリンは茶栽培に適しているとされ、茶の実験栽培が始められた。1856年までにさまざまな実験に成功し、茶産業が大規模に発展していった。1881年にダージリン・ヒマラヤ鉄道が開設、茶産業が急速に進化していった。3)

ダージリンの街とカンチェンジュンガ

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ダージリンの紅茶生産量

 インドは世界最大の紅茶生産国である(図2)4)。インド国内ではアッサム地方の生産量が多く占める中、ダージリン地方での生産量は極めて少なく(図3)5)、非常に希少価値の高い紅茶であることがわかる。

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紅茶について

 お茶は、ツバキ科の常緑樹である「チャ」(Camellia sinensis(L). O.Küntze)の葉を加工し製造される。主に中国種とアッサム種があり、葉中に含まれる酸化酵素の働きにより発酵が進み、その度合いにより大きく3つに分類される。不発酵のものは緑茶、半発酵のものはウーロン茶など中国茶、強発酵のものは紅茶として分類される6)

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ダージリン茶園
~茶園により品質が異なる理由~

 ダージリン地方の丘陵地には87の茶園があり、大きく7つの谷に分類されている(図1)。どこの茶園でも中国種、中国交雑種、アッサム交雑種が植えられている。茶の出来栄えは茶園によって異なり、それぞれ独自の香味と品質をもっている。その違いは、さまざまな要因が関係している7)

山の斜面に茶畑が広がっている

要因
降水量、気温(最高・最低)、
日照時間など気候条件

 標高により亜熱帯(標高が低い場所)、温帯(標高が中くらいの場所)、高山帯(標高が高い場所)の3つのタイプの気候帯が存在。茶園の場所により降雨パターンが異なってくる。また気温差も生じる。朝日が一定以上の高さに昇ることが重要な役割を果たしており、東向きと南向きの茶園は、西向きと北向きの茶園よりも良質の茶葉を生産できるといわれている。また標高が低いと生産量が多く、高いと生産量が下がり品質が上がるといわれている。標高が低い茶園では日焼け防止のためシェードツリーを植える必要があり、標高が高い茶園ではその必要がない(図4)。

要因
土壌の質や植物・動物相の違い

 1970年代以来、化学殺虫剤と除草剤が使用され続けてきた。これは茶栽培地域の生物多様性を破壊しただけでなく、土地は荒れ、雑草がなくなることで深刻な土の浸食が起こった。近年では、有機農法に転換する茶園が増えてきている。生物の多様性を保護する観点からも、ダージリン地方で長い歴史をもつマカイバリ茶園(1840年創業)のように「バイオダイナミック農法」を取り入れ、自然と調和した農法にこだわる茶園も出てきた8)。1991年にこの茶園で茶葉そっくりに擬態する昆虫(ティー・ディバ)が発見され、自然の生態系の豊かさの一部を物語っているようだ(図5)。

要因
製法

 茶園の経営者の考え、茶園のノウハウ(萎凋、揉捻、発酵条件など)の違いが品質に与える影響は大きい。

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ダージリンのクオリティーシーズン

 ダージリンのクオリティーシーズンは、摘採時期によって「ファーストフラッシュ」「セカンドフラッシュ」「オータムナル」の3つに分類されている(セカンドフラッシュとオータムナルの間にモンスーンフラッシュを加えて4シーズンに分類している例もある)。セカンドフラッシュは、1年で一番充実した品質のものとされる(図6)。

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ダージリンでの紅茶の製法

充塡される直前の茶葉

 今回訪れた茶園はマカイバリ茶園、トゥクバー茶園、キャッスルトン茶園の3園である。3園ともにオーソドックス製法にて茶葉が製造されていた。その製造工程について説明する。

●摘採(てきさい)
労働者はネパール系住民。標高1,200~2,000mの斜面での作業。
中国種が主で、小ぶりな葉を一芯二葉(いっしんによう)で丁寧に手摘みするため、1人当たり3~10kgほどしか1日に収穫できない。
●萎凋(いちょう)
萎凋とは水分を飛ばし、次の工程である揉捻をしやすくするために行われる。
ダージリンは標高が高い茶園が多く、気温が低いため、萎凋の前半は温風(45℃程度)で、後半は常温で行われていた。約16時間ほどかけ水分量を70%程度まで減らす。
●揉捻(じゅうねん)
揉捻とは、茶葉から発酵に必要な酸化酵素を出す重要な工程のこと。
揉捻機を使用し、収穫時期によって揉捻時間や強度の調整をする。
ファーストフラッシュは葉が柔らかく10分程度で揉捻が終わるのに対し、セカンドフラッシュは30分ほどかかる。細かくなった葉は発酵にまわし、まだ硬い葉は2回目の揉捻をする。軽め~中程度、時には高めに圧力をかけ、葉汁を出させると同時に、葉をよじれさせて、さまざまな魅力ある等級(サイズ)をつくり出す。
茶園によって方法が異なり、特徴を生み出すノウハウが隠されている。
●発酵
発酵は最も重要な工程である。揉捻を終えた茶葉を発酵棚に載せ、室温で発酵させる。
時期や気温により時間を変えて発酵度合いを調節。ファーストフラッシュは30~40分で発酵を終え、セカンドフラッシュは2〜6時間と長い時間発酵を行う。この時間の判断は、茶園マネージャーと工場アシスタント・マネージャーの手腕にかかっている。収穫時の気候などを加味し、茶葉のロットや茶園ごとに条件は異なる。
揉捻後のグリーンなアロマが少し落ち着き、linaloolや2-phenylethyl alcoholを思わせるフラワリーで華やかな香りと少し蒸れたにおいを漂わせていた。
●乾燥
発酵を止めるため、乾燥機に発酵後の茶葉を入れ水分量を3%以下にする。乾燥機の内部は5段のベルトコンベヤーになっており、ゆっくりと移動している間に乾燥が進む。
乾燥後は少し色が黒褐色になる。揉捻によりねじられた葉のまま乾燥され、塊を形成していた。
●篩分(しぶん)
乾燥された茶葉は選別機に投入され、茶葉のサイズごとに分けられる。茶葉のグレードは茶葉の形状によって分類される(図7)。
●充塡(じゅうてん)
充塡は10~15kgで包装され、バイヤーに送られる。

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テイスティング

 製造されたロットは、ティーテイスターにより茶葉、茶殻、抽出液の水色(すいしょく)と味が確認される。抽出液を口に含み、味わい、渋味、力強さ、香味、欠点の有無などを瞬時に判断し鑑定されている。
 今回、訪れた3園でテイスティングしたセカンドフラッシュは、茶園ごとに特徴がさまざまであり、青葉のようなグリーンノートが強くファーストフラッシュを想起させるものもあれば、フラワリーな華やかな特徴が際立つものもあった。ここでは一番印象に残ったキャッスルトン茶園でのテイスティングについて記す。

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キャッスルトン茶園

 創設1865年、標高1,463m、茶園の大部分は東および南向きで、過去にオークション最高値を何度も塗り替え、マスカテルティーの品質は世界的に評価されている茶園である。

●キャッスルトン茶園で試飲したセカンドフラッシュの特徴
FTGFOP1(MUSCATEL):最高級品
口に含んだ瞬間から力強い香りのインパクトが感じられ非常に驚いた。ひと言では表現できない複雑な華やかさと甘い香りが口の中で広がり、ミドル~ラストのアロマのボリュームがしっかりと感じられた。またβ
damascenone様の蜜様の香りと心地よく続く余韻が残り、しっかりとした茶葉の渋味が感じられた。現地でマスカテルフレーバーと評価されるこの風味に高い嗜好性を感じた。
TGFOP:上級品
ほうじ香やグリーンなトップノートが感じられるが、FTGFOP1(MUSCATEL)と比べると香りのインパクトが弱く感じられた。
キャッスルトン茶園

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マスカテルフレーバーとは?

 一般的にマスカテルフレーバーはマスカットのような香りであると表現されることが多い。また、ダージリンティーのマスカテルフレーバーについては今までにも多くの研究がなされてきた10-13)。特に、セカンドフラッシュ生産期にグリーンフライ(チャノミドリヒメヨコバイ)などの食害により生成されるhotrienol((E)-3,7- dimethylocta-1,5,7-trien-3-ol)がダージリンの特徴香に重要であるといわれている(図8)。

 そこでマスカテルフレーバーの特徴を確認するため、現地でテイスティングをしたマスカテルフレーバーが強いと評価されていたFTGFOP1(MUSCATEL)と特徴が弱かったTGFOPを購入し、各サンプルの淹れたて紅茶のヘッドスペース香気を分析した(図9)。
 その結果FTGFOP1(MUSCATEL)はTGFOPに比べて、 hotrienolをはじめ、華やかでフラワリーな特徴に寄与するlinaloolやgeraniol、爽やかな特徴を付与するmethyl salicylateの量が多く、総香気量も多いことがわかった。これまでの文献の報告と同様に、これらの成分がダージリンセカンドフラッシュのマスカテルフレーバーに寄与する可能性が示唆された。

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マスカテルフレーバーに寄与する香気成分の探索

 私の経験では、これらの香気成分だけではキャッスルトン茶園で感じられたダージリンセカンドフラッシュの驚くようなマスカテルフレーバーを表現することは難しいと感じた。
 そこでさらに分析を進めると、ダージリンティーよりマスカット様香気を有する成分dehydrorose oxide(2-(2-methyl-1-propenyl)-4-methylenetetrahydropyran)を新たに見いだした。この成分については日本農芸化学会2018年度大会にて「ダージリンのマスカット香に寄与する成分の同定」という題で当社研究員福井らより報告している14)。この化合物がダージリンセカンドフラッシュのマスカテルフレーバーに寄与するのか、実験を行った。

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Dehydrorose oxideの添加効果

 紅茶の香気成分の定量値どおりに紅茶香料を調合し、水に添加してdehydrorose oxide(定量値)の効果を確認した。評価用語「マスカテルフレーバー」については評価者の経験から判断し、具体的な定義を設定せずに評価した(図10)。
 Dehydrorose oxideを添加することでマスカテルフレーバーを増強することが明らかとなった。
 また、フルーティー、シトラス、マスカット、フローラル、ハネーといった香りの特徴も同時に強化されることから、これら香り特徴の組み合わせでマスカテルフレーバーを認識している可能性が示唆された。
 個人的にはdehydrorose oxideだけではキャッスルトン茶園でテイスティングしたFTGFOP1(MUSCATEL)のインパクトのあるマスカテルフレーバーまでは表現しきれないが、余韻に寄与するハネー調の成分や甘い香りと合わせることで今まで表現できなかったダージリンセカンドフラッシュのマスカテルフレーバーを表現できると感じている。

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Dehydrorose oxideの可能性

 今回ダージリンを直接訪れることで、標高、日光の角度(茶園の位置する方角)、気候、温度、湿度、土壌、グリーンフライの食害による恩恵など茶園により環境条件が大きく異なること、またそれぞれの茶園で独自のノウハウが存在し、紅茶の風味にバリエーションを生じさせることがわかった。ダージリン産の紅茶すべてがシャンパンと呼ばれるほどの芳香をもっているわけではなく、ダージリンの中でも限られた条件が整うものにその芳香が宿り、高値で売られていることを理解した。強いマスカテルフレーバーは嗜好性が高く、ダージリンセカンドフラッシュが世界で愛され飲まれ続けていることを体感した。近年、紅茶飲料市場が伸びる中、dehydrorose oxideを牽引役として、紅茶飲料の嗜好性向上に香料を通して少しでも貢献できたら本望である。

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参考文献・資料

  • 1)日本紅茶協会編.紅茶の大事典.成美堂出版,2013, p. 86.
  • 2)ハリシュ C. ムキア,井口智子訳,黒岩純子監修.ダージリン茶園ハンドブック.RSVP.丸善出版,2012, p. 10-11.
  • 3)ハリシュ C. ムキア,井口智子訳,黒岩純子監修.ダージリン茶園ハンドブック.RSVP.丸善出版,2012, p. 156-159.
  • 4)日本紅茶協会.紅茶会報,2019, no. 455. p.3.
  • 5)Tea Board India. “State/Region wise, Grower wise Production share for the
    year 2018 (FINAL) — Qty. in M.Kgs”.
    http://www.teaboard.gov.in/pdf/Production_2019_Jan_to_Dec_and_2019_20_Apr_to_Dec_pdf7375.pdf,(参照2020-03-02).
  • 6)日本紅茶協会編.紅茶の大事典.成美堂出版,2013, p. 60-61.
  • 7)ハリシュ C. ムキア,井口智子訳,黒岩純子監修.ダージリン茶園ハンドブック.RSVP.丸善出版,2012, p. 54-57.
  • 8)マカイバリジャパン. “紅茶の神様ティー・ディバ”http://www.makaibari.co.jp/sekai/teadeva.html,(参照2020-03-02).
  • 9)日本紅茶協会編.紅茶の大事典.成美堂出版,2013, p. 87.
  • 10)伊那和夫,坂田完三,鈴木壯幸,南条文雄,郭雯飛.新版緑茶・中国茶・紅茶の化学と機能.アイ・ケイコーポレション,2007.
  • 11)Kawakami, M.; Ganguly, S. N.; Banerjee, J.; Kobayashi, A. Aroma
    composition of oolong tea and black tea by brewed extraction method and characterizing
    compounds of Darjeeling tea aroma. J. Agric. Food Chem. 1995, vol. 43, p. 200-207.
  • 12)Schuh, C.; Schieberle, P. Characterization of the key aroma compounds in
    the beverage prepared from Darjeeling black tea: quantitative differences between tea
    leaves and infusion. J. Agric. Food Chem. 2006, vol. 54, p. 916-924.
  • 13)馬場良子,中村后希,熊沢賢二.ダージリン紅茶の特徴的な香気に寄与する成分の探索.日本食品科学工学会誌.2017, vol. 64, no. 6,
    p. 294-301.
  • 14)福井康大,原口賢治,大森雄一郎,小西俊介,中西啓,吉川啓輔,石崎享.ダージリンのマスカット香に寄与する成分の同定.日本農芸化学会2018年度大会.

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