HASEGAWA LETTER 2023 年( No.41 )/ 2023.05
カオリ to ミライ
五感からの幸せ ~感覚を研ぎ澄ますと“みえて”くる豊かな世界~
私たちは普段、自分のまわりにある情報を様々な感覚を使って得ています。その感覚とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、これらを合わせて五感と呼びます。ただ、五感をいつもフル稼働させているかといえば、案外そうでもなさそうです。私が普段共に活動している目を使わない仲間たちから教わった、感覚を一つ閉ざすことによって生まれる豊かな感覚の世界について、特に香りにフォーカスを当てて思いを巡らせてみました。
暗闇の中の対話
ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)*というエンターテインメントをご存じでしょうか?
直訳すれば、“真っ暗の中での対話”という意味なのですが、そこは照度ゼロの暗闇。いくら目を凝らしても何時間経っても目が慣れることはありません。
その中を8人でチームを作り、白杖(はくじょう)をつきながら、互いに助け合い協力し暗闇を探検します。視覚を手放すことで、やがて他の感覚が突出し、歩くこともできるようになります。聴覚、触覚、嗅覚です。
感覚を研ぎ澄まし様々なシチュエーションを体験することができるものの、何しろ純度100パーセントの漆黒。普段視覚を使っている人にとってそこは異空間すぎて歩くこともままなりません。
そこで、一人のアテンド(案内人)が登場します。暗闇を案内するアテンドたちは全員が視覚障害者。暗闇の中では目の見えない人に助けてもらいながら、参加者はエンターテインメントを楽しむ。そして互いに対話をする。そんな催しが世界47か国で開催されています。
*ダイアログ・イン・ザ・ダーク
https://did.dialogue.or.jp/
DIDとの出会い
DIDは1989年にドイツで始まり、ヨーロッパで大人気となります。その情報が日本経済新聞で紹介されていた囲み記事を、私の夫である志村真介(ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン Founder)が読み、物ではなく「体験」が展示物となるということに衝撃を受けたことが、日本のDID開催のきっかけです。どうにか日本で開催できないかと、ドイツのDIDの発案者であるアンドレアス・ハイネッケ博士に手紙を書くことから始まり、日本での開催を願う仲間たちと準備を重ね、東京ビッグサイトで初開催をできたのが1999年秋でした。
DIDを運営する上で世界の共通ルールがいくつかあります。それは次のようなことです。
(1)灯り一つない漆黒の暗闇を作ること。
(2)暗闇の中には一人で入場せずグループで体験すること。
(3)案内人は視覚障害者。特に全盲が望ましい。
なかなか珍しいルールです。
DIDとはどのようなものなのか、私が体験したエピソードをご紹介させてください。
会場の広さや中に何があるのかなどは、参加者には事前に何も伝えないことになっています。参加者はこれまでに体験したことのない暗闇の中を、白杖とアテンドの声を頼りに、感覚を研ぎ澄まして進んでいきます。見ず知らずの人であっても仲間になり、白杖を借りて暗闇の中に。でもその空間の把握は全くできません。そこに一人、暗闇をスタスタ歩く人が現れます。アテンドです。その声に従い恐る恐る歩いてみると、そこは森の中。足元に落ち葉を感じます。
まだ触ってもいないのに、なぜそれが分かったのでしょう。それは足裏の触感と音。そして匂い。暗闇の中を包み込むような秋の落ち葉の香りが充満しているからです。
日本での初開催の時は、桜の落ち葉を敷き詰めました。参加者の一人が「これ桜餅の匂いに似ている!」と叫びます。他の参加者も「わ!本当だ!」と騒ぎだし、一斉にしゃがみ始めました。その葉を触ってみると、ほんの少しだけ水分が残っているのが分かります。乾燥しきっている葉は茶色ですが、これはきっと茶色ではなく黄色とピンクが混ざっているのだと言う人も。あとで知ったのですが、紅葉した桜の葉があまりにいい香りなので、葉を口に含んだ人もいてアテンドを驚かせました。
はじめは及び腰で歩いていたはずが、アテンドの助けや仲間となった人同士の助け合いによりやがてチームワークもとれてきます。すると冒険心も湧いてきて、大人も子どものように無邪気になり真っ暗闇の中にある民家を訪れ、イグサの香りを楽しみながら畳に寝転がったり、庭にあるブランコをこいで大はしゃぎ。その後、いくつものシーンを体験しカフェへ移動するのです。
手探りで椅子を探し、やっと腰掛けて好きなドリンクを注文。ドリンクを待ちながらおしゃべりをしていると、どよめくような声が上がります。
アテンドが運んでくれるドリンクが、自分の近くを通るたびに香りが漂ってくるのです。目で確認はできませんが、しっかりとした濃さであろうコクのあるココア。コーヒーはブラック。香りで分かるようです。ワインの香りに至っては、皆さんワインにしたらよかったとおっしゃるほど芳醇。ビールは香りよりも、音が印象的なようでグラスに注がれた泡の音に一同ため息。どれも普段なら見過ごしているようなことばかりですが全てが特別。暗闇の中で開いた自分の感性に感動する人も少なくありません。自分の手元にきたドリンクの香りを堪能してからそっと飲み物を口にするその時間は普段とはまるで異なるものなのです。もちろん対話も弾みます。アテンドや仲間となった人同士の関わりによって、そのころには、目が見えない人も見えている人も対等な関係になっているのです。
匂い付き地図
やがてDIDは日本でも2009年から常設施設を持つようになりました。現在は、東京の竹芝に『ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」』と、神宮外苑の『ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇。」』があります。視覚障害者と私は仲間として活動を共にしています。そのため、出張や外部の打ち合わせの際も、一緒に歩くことが多いのですが、ある時、私たちは地図についての話で盛り上がりました。その理由は私がアテンドのHさんを連れて街に出かけたところ、迷子になったからでした。私の肩に彼は手を当て歩きます。ところが突然Hさんは「季世恵さん、同じところを2回通っていない?」と言うのです。なんで分かったのでしょう。私は本当に同じ道を2回歩いていたのです。
「うん、迷ってしまったみたい。でも、どうして分かったの?」
「それはさ、街にある匂いが教えてくれたからだよ。そして近くの工事音もさっき聞いた音だよなって思ったから」
そこで私は、見えない人の頭の中の地図はどうなっているのか聞いてみました。彼は答えます。
「目が見える人の地図は平面の地図でしょう?でも僕の地図は三次元的。地図のベースを作るために欠かせないのは電車の路線図を頭に入れておくこと。例えばこのあたりなら一番深いところは有楽町線。次いで三田線が……。そして……」のように立体的に覚え記憶をしているのだそうです。そこに車道を組み合わせ地図のベースを作り、そこに目立つビルや商業施設を重ねていくのだそうです。次いで感覚的な情報を、特に匂いのするお店などを加えていきます。彼らにとって嗅覚はとても大切なものなのです。
お読みくださっている皆さんもご自身の最寄り駅を思い浮かべてみてください。駅の改札を出たら、何らかの理由で目が見えなくなっているとします。ご自宅に帰るには何を頼りにするでしょう?
私の場合は、駅の改札口を右に曲がると真っ先にあるのはクリーニング店と薬局です。でもそこは記憶の情報としてあるだけでリアル感はありません。改札口のすぐ近くにある踏切の音で、自分の行く方向が合っているか否かの判断をし、スーパーマーケットの店頭にいる店員さんの元気な声が情報になります。音を頼りにもう少し進んでみると、お豆腐屋さんの油揚げの匂いがしてきます。これで私の歩く方向は間違っていないことが分かりました。もう少し歩くとお蕎麦屋さんの匂い。道の反対側からコーヒー豆の焙煎の匂いがしてきます。ここまで来たらあと数メートル歩き、四つ角を曲がり真っすぐ歩くだけ。でもきっと、通りすぎてうろうろしちゃうでしょう。点字ブロックや音付き信号機は非常に重要な情報ですが、さらに匂いの情報がほしくなるはずです。このように香りや匂いが重なることにより、より正確な地図が出来上がっているのでした。
5-1=無限大 ∞
DIDのアテンドとの出会いから、嗅覚を意識する機会を得ることができました。
人は大人になるにつれて視覚情報に頼った生活になりやすいですが、目が見えない人はそうなりません。聴覚、触覚、嗅覚の全てをバランスよく使いながら暮らしているのです。
仕事が終わり、アテンドのYさんと駅を目指して街を歩くと、彼女は「きっと明日は雪が降るね。音の響き方が変わってきたものね」と言います。
朝になりYさんからメールが届きました。「まもなく雪が降るよ。雪の匂いがかすかにしてきたもの。いつものような薄着はだめだよ。暖かくしてね」と今度は嗅覚の情報です。
このように五感の中の一つが機能しないと、5-1=4になり減ってしまうのかというと私はそうは思えません。もしかしたら5-1=∞になることだってある。そんなことをDIDの仲間たちと共に過ごすことで感じることができるようになりました。
花束の贈り方まで変化をし、今では香りの高い花を選ぶようにしています。最近は馴染みのフラワーショップに行くと香りのよい薔薇をお店に置いてくれるようにまでなり、色や形だけで選ぶのではなく、香りを鼻で確かめさせてくれるようにまでなりました。目が見えない人にもとても好評です。五感をフル活用させる時間は私の至福の時間でもあります。
五感は幸福を運んできます。どうぞ五感を育むお時間をとってみてください。
芝生やフカフカの土の上に裸足で立ち、触感を楽しみながらゆっくり深呼吸を。草や土の匂いがしてきます。
お日様に当たったお布団の匂いを嗅いでみてください。太陽に触ることはできないけれどその匂いは触れているのと同じです。
夕方に外を歩くとお料理の美味しそうな匂い。食事を待っているのでしょうか。子どもの声がします「いい匂い!もう手は、洗ったよ~」。
全ての感覚を使うことができたら楽しみはさらに増えそうです。五感がバランスよく使われていたなら、それは幸せを感じる力が高まることにも繋がるでしょう。時には香りのハンターになって外を歩いてみるのはいかがでしょうか。
- 志村 季世恵 しむら きよえ
- 一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ代表理事。1999年よりダイアログ・イン・ザ・ダークの活動に携わり、発案者アンドレアス・ハイネッケ博士から暗闇の中のコンテンツを世界で唯一作ることを任せられている。活動を通し、多様性への理解と現代社会に対話の必要性を伝えている。また、バースセラピストとして、心にトラブルを抱える人、子どもや育児に苦しみを抱える人に寄り添う。2023年の新著『エールは消えない いのちをめぐる5つの物語』(婦人之友社)のほか、著書に『さよならの先』(講談社文庫)、『いのちのバトン』(講談社文庫)、『大人のための幸せレッスン』(集英社新書)など。
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