HASEGAWA LETTER 2026年( No.44 )/ 2026.01
OUR 技術レポート
水面の桃源郷「スイレン」 ~幻想的な美しさを際立たせる香りに触れて~
初夏の日差しを肌で感じ始める傍らで水面に彩りを添えるスイレン。どこか神秘的な姿は古今変わらず人々を魅了し続けてきたが、その香りに心を奪われた人はどれほどいるだろうか。今回は見た目の美しさにとどまらないスイレンの魅力を香りの面から明らかにしたので紹介する。
時代を超え人々を魅了し続ける花
スイレンといえば、印象派を代表するフランス人画家、クロード・モネの「睡蓮」をイメージする人が多いだろう。モネが描いた睡蓮の作品数は約250 枚にものぼり、生涯にわたりその美しさに魅了され続けたことは想像に難くない。スイレンの学名である「Nymphaea」はギリシャ神話に登場する水の精霊「Nymph(ニンフ)」に由来し、ヨーロッパ各国の逸話にもたびたび登場する1, 2)。これらより、スイレンといえばフランスをはじめとするヨーロッパに縁があるように思われがちだが、実は最も関連が深いのはエジプトである。スイレンはエジプトの国花に指定され、別名「ナイルの花嫁」とも呼ばれている。このように古代からその文化や宗教において重要な象徴として扱われてきた。
古代エジプト神話にはスイレンの化身とされる「ネフェルトゥム」という神様が登場する3, 4)。この神様は、日が暮れると水に沈み、夜が明けると再び立ち上がって花を咲かせるスイレンの姿から、復活や再生の象徴としてあがめられてきた。またその芳香は太陽神ラーや死者に活力を与え復活を促すと信じられており、神々や死者へ捧げる神聖な植物とされていた。このことからネフェルトゥムは「香りの主人」や「ケネル・タウィ(二つの国の守護者)」とも呼ばれ、まさに古代のアロマセラピストとして多くの人々を魅了してきたことがうかがえる。
古代エジプトとスイレンの関連性を紹介したが、実は私自身幼少期にエジプトで生活していた経験がある。スイレンについて調べていくうちに、思い返せば神殿の壁画やお土産のレプリカなどに神々とともに鮮やかな花が描かれていた記憶がよみがえり、私がスイレンに惹かれるのはこのためだったのかと妙に納得した。それと同時に、なおさらスイレンの香りを嗅いでみたいという強い衝動に駆られ、今回その香りの魅力を追求する運びとなった。
右図:パピルス一面に描かれたスイレン(活力を与える香りとして生活に密接していたことがうかがえる)
スイレンとハスは似て非なるもの
スイレンは原産地の違いから熱帯性と温帯性に大きく分類され、花色や香り、開花の様子などもそれぞれ異なっている。熱帯性はアフリカ、南米、アジアの熱帯地域が原産地で、花色が鮮やかでさまざまな色がある。温帯性(耐寒性ともいう)の原産地は、ヨーロッパの温帯地域に多く分布しており、花色は淡いやさしい色合いが多い。神秘的な魅力あふれるスイレンだが、見た目が似ているハスとよく混同されてしまう残念な一面もある。ハスの英名はLotusであるが、古代エジプトでは熱帯地域に分布するスイレンの一種の青睡蓮はブルーロータスと呼ばれていた。ここでスイレンとハスの違いを整理した(図1)。

「香りの主人」たるスイレンの香りとは?
スイレンは主に日中に咲くものが多いが、水生植物であるがゆえに池や湖で栽培されており、遠巻きにその美しさを眺めるだけで香りを体感する機会がなく思い悩んでいた。そんな折、スイレンの香りを間近で嗅げるよう展示されている滋賀県の草津市立水生植物公園みずの森8)の存在を知ることとなった。興奮冷めやらぬ中、研究対象として香りを分析させていただけないかと連絡したところご快諾いただき、初めてその神秘的な香りと相まみえることとなった。
琵琶湖のほとりにある草津市立水生植物公園みずの森では、150種類以上のスイレンを栽培している。香りを体感できるエリアでは初心者でも楽しめるよう香りの分類ガイドも用意され、訪れた6月は多くの来園者でにぎわっていた。
開花中のスイレンをくまなく嗅いだところ、香りにある傾向があることを発見した。熱帯性スイレンはパウダリー調で甘く清潔感のある香りが特徴的で、品種によらずいずれも香りが強く、同じような柔らかな香りがするという共通点があった。一方で温帯性スイレンは熱帯性とはまた異なる香りの印象で、品種によってその質が大きく異なりバラエティーに富んでいた。その日咲いていたスイレンの中で、香質が異なり香気が良好だった品種、ムーンビーム(熱帯性スイレン)、ワンビサ(温帯性スイレン)、ブラックプリンセス(温帯性スイレン)の3種類を選定し、私を含め2人で香気評価を実施した(図2)。

香気分析
―神秘的な香りの魅力に迫る
香気捕集および香気分析
いよいよその香りを解明すべく、熱帯性および温帯性スイレンについて、選定した3種類の香気を捕集した。開花中のスイレン1輪をサンプリングバッグで覆い、花から発散される香気をポンプで吸引しながら香気捕集用の吸着剤に捕集した(図3)。吸着剤は研究所に持ち帰り、そのまま加熱脱着してGC-MS (Gas Chromatography-Mass Spectrometry)で香気成分の測定を行った。

得られたガスクロマトグラムを比較すると、それぞれ検出成分が大きく異なっていた(図4)。ムーンビーム(熱帯性)からはbenzyl alcohol、benzaldehyde、anisaldehyde などの芳香環をもった香気成分が多く検出された。一方、ワンビサ(温帯性)では(E)-ocimene、myrcene、α-pinene などのモノテルペンと呼ばれる炭化水素類が多く検出された。ブラックプリンセス(温帯性)は炭化水素類に加えてlinalool やlilac alcohol、anisaldehyde など、さまざまな成分が検出された。

GC においかぎ分析およびアロマプロファイルの作成
機器分析だけではわかりにくい微量かつ重要な香気成分を明らかにするため、人の鼻を検出器としたGC においかぎ分析を行った。においを感知したうち強度が強かった箇所とそこに検出された成分を図5にまとめた。
3種類に共通した成分として、アーシーな香気の2-isopropyl-3-methoxypyrazine および2-isobutyl-3-methoxypyrazine が感知された。
ムーンビームでは、ミュゲ様の(E)-2-nonenal、パウダリーなanisaldehyde、フルーティなbenzaldehyde やフレッシュなhexanal、シトラス様のoctanal やnonanal 類がほかのスイレンと比べて強く感知でき「パウダリーで甘く柔らかな印象」とも一致した。
ワンビサでは、シトラス様のmyrcene、グリーンな(1E,3E)-4-methyl-1-(prop-1-en-2-yloxy)hexa-1,3,5-triene、トロピカルな3-methyl-2-butenethiol などが3種類の中で特に強く感知でき、香気評価での「爽やかですっきりした印象」を支持していた。
ブラックプリンセスでは、ムーンビームやワンビサとの共通な香気成分も感知されたほか、フローラルなlinalool やanisaldehyde、みずみずしいdecanal やdodecanal、グリーンな(1E,3E)-4-methyl-1-(prop-1-en-2-yloxy)hexa-1,3,5-triene、アニマリックなp-cresol など、「清潔感がありながら複雑で重厚感のある香りの印象」を裏づけるような結果が得られた。

機器分析およびGCにおいかぎ分析での香気成分の割合をもとに、3種類のスイレンのアロマプロファイルを作成し、香気の再現を行った。そして、植物の最もよい瞬間の香りにこだわって再現した当社の香料aroma CAPTURE®シリーズに、それぞれの特徴を捉えたスイレンの香りを迎え入れることができた。
ムーンビーム
アルデハイディック・パウダリーなグリーンフローラルで、柔らかな印象でありながら拡散力のある特徴的な香り。

ワンビサ
ペッパー様のスパイシーなトップノートが特徴的な爽やかなフローラルの香り。

ブラックプリンセス
シトラス様の清涼感もありながらアルデハイディックやアニマリックな重厚なトーンも併せもつ複雑なフローラルの香り。

現代社会に癒やしをもたらす象徴として
初夏といえども猛暑日のうだるような暑さの中で嗅いだスイレンの香りは、一瞬にして時が止まったような静寂の世界に誘われ、思わず深呼吸してしまうほどリラックスでき、言葉では言い表せない不思議な幸福感に包まれた。人々を惹きつけてやまないスイレンの魅力を、水生植物公園みずの森の協力のもと、香りの面から一部明らかにすることができた。
植物を含め私たちを取り巻く環境は目まぐるしく変化している。世界的な環境問題として温暖化が叫ばれ始めて40年以上、国内でも年々平均気温が上昇している。このような環境の変化は日常生活にも影響を及ぼしており、特に気温上昇による生活リズムの乱れやストレスは、睡眠不足という形で多くの人々を悩ませている。「睡眠不足大国」とも呼ばれるほど、日本人は過労や生活習慣に起因する問題を抱えており、過労死が大きな社会問題として注目され、働き方改革の必要性も問われる時代になっている。これに対して企業や政府でも、スリープテックなどの新しいテクノロジーの開発や働き方の見直しが進められている。こうした深刻な問題に対して、自然の中で水面に凜と咲くスイレンは、現代社会の夏に涼を届けるだけでなく、その穏やかな姿が安眠を誘い、心身の癒やしをもたらす象徴として、その魅力をさらに増していくと感じている。スイレンのように、自然との調和の中で心地よい生活リズムを取り戻すことが、現代の働き方改革にもつながるのではないだろうか。
先人たちを魅了し続けてきたスイレンは、時代を超えて今もなお私たちを癒やし続けてくれる。その一助となるようスイレンのもつ香りの力を最大限に引き出し、香料を通じて社会に広く貢献すべく、これからもその魅力を一つひとつ解明していきたい。

参考文献
- 1)L.ディーズ,吉富久夫訳.花精伝説.八坂書房,1988.
- 2)C.M.スキナー,垂水雄二訳,福屋正修訳.花の神話と伝説.八坂書房,1985.
- 3)内田杉彦.古代エジプト人と死者.明倫短期大学紀要.2015, vol. 18, no. 2, p. 3-10.
- 4)内田杉彦.古代エジプトの植物と庭園.明倫短期大学紀要.2018, vol. 21, no. 1, p. 8-14.
- 5)NHKテキスト趣味の園芸.2019年8月号.NHK出版,2019.
- 6)NHKテキスト趣味の園芸.2023年8月号.NHK出版,2023.
- 7)香料 香りの本.特集号 花の香り.日本香料協会,2006, no. 232.
- 8)草津市立水生植物公園みずの森
https://www.seibu-la.co.jp/mizunomori/
- 福地 有吾 ふくち ゆうご
-
長谷川香料(株)総合研究所フレグランス研究所
入社以来、フレーバーおよびフレグランス香料開発を支援するための分析業務に従事。
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