検索記事一覧『SDGs』

社会の中の香り

植物をめぐる話
~小石川植物園から見てきたこと~

東京大学大学院理学系研究科附属植物園育成部技術職員
山口 正

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< 3分でわかる解説 > 植物をめぐる話
 小石川植物園は、戦後の1960年頃からアジアの野生植物を中心に多様で希少な植物を収集し栽培を行ってきました。温室で行っている小笠原諸島の絶滅危惧植物の繁殖と栽培方法の研究もその一つになります。温度管理のできる室内環境を利用して熱帯や亜熱帯の野外では繁殖できない植物の栽培と研究を行っています。温室では、高温で湿潤な環境を好む植物や乾燥した砂漠のような環境も疑似的に作り出し特殊な環境に適応した植物を栽培することもできます。2019年に新設された公開温室には、冷温室が追加され涼しい環境を好む高山植物等の栽培もできるようになりました。植物園で勤めると特殊な環境を生きる植物の栽培を経験することになります。植物園に勤めて最初に担当したのは温室の植物になります。見たことも触れたこともない熱帯の奇妙な植物だらけで、園芸高校で学んだ知識などほとんど通用しませんでした。一から学ぶつもりで植物や温室施設の管理を学び、2年目からは、分類標本園の整備と管理作業で約600種の野生植物の栽培と管理を任されました。毎日生態のわからない植物を図書館で調べ、知識を得るために植物園協会の研修に参加して栽培技術を学び植物の繁殖地へ出かけて栽培方法を身に付けていきました。分類標本園は、大学の学生が植物研究の基本を身に付ける実習・実験施設なので、科学的な植物分類の検討が進むと時代ごとに分類方法が変化しそれに伴い分類標本園の植物の植栽位置も変化します。私の担当していた1980年頃にはエングラーの分類体系(形態的特徴を基に分類する方法)を利用していましたが、9年間担当した後期には、『日本植物誌』(大井次三郎著)の分類方法と当時の最新のDNA解析で明らかとなった分類方式を混用して展示していました。現在は、植物をDNA解析したAPG分類体系が主流となっており近年の植物図鑑ではこの配列が主流となっています。小石川植物園では、数年前からAPG分類に対応すべく植物ラベルの変更や分類標本園の植栽位置の変更に取り組んでいるところです。
 分類標本園整備が一段落ついた頃、樹木園係への異動が決まり植物園全体の樹木を管理する係になりました。最初に取り組んだのは、樹木園全体を掌握する作業で園内にどのような樹種がどこにあるのかを確認する作業でした。植物園には「植物導入リスト」と「植栽図」があったのでそれらを使い樹木の確認作業を行いましたが植栽図が目測で作られていたので測量誤差が大きく現物確認には至りませんでした。園内の植生状態を適切に掌握するために簡易測量を行い正確な植栽図を完成させました。その後、植栽図と栽培リストを基にパソコンで植栽場所を確認できる「東京大学理学部附属植物園 植栽分布記載システム」(1997年)を㈱システムハーツと共同で作成して、植物の栽培確認が誰でも容易にできるようにしました。
 1989(平成元)年には、東京大学理学部附属植物園植物園植栽検討委員会の答申を受けて植物園全体の植栽配置の見直しが始まり、「東アジアの野生植物の保全」「絶滅危惧種の繁殖のための研究」などのテーマに沿って植物園全体での植生改良が進められました。ここでは植物園での様々な経験の中で体験した物事や植物の香りにまつわる話題や植物を取り巻く環境の問題について話してみたいと考えております。

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  • 2024年 (No.42)
  • 社会の中の香り

カオリ to ミライ

香りとアート
~なつかしい香りが開く記憶の扉、
アートが拓く未来の社会~

嵯峨美術短期大学准教授 / Perfume Art Project代表
岩﨑陽子

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< 3分でわかる解説 > 香りとアート
 高齢社会に香りのアートはどのような役割を果たすことができるだろうか。
 私はアロマのような香りの身体への直接的効能ではなく、香りのアートによるQOL向上のための感情喚起を目指している。特に人生においてさまざまな経験をくぐり抜けてきた高齢者にとっての「なつかしさ」に注目し、空間づくりやゲーム開発を実施している。
 最近の神経科学や認知心理学では、香りが単体で嗅ぎとられているのではなく、その場の状況を含むコンテクストや、学習によって価値づけられた主観性と共に感じとられるとされている。嗅覚が視覚よりも主観性に左右されるなら、個人の感情や記憶を呼び覚ますためにアートの力が有効であると考えられる。アートは個人的な感情を、表現によって多くの人の共感へと拡げることができる不思議なツールだからである。香りのアートによる一つの作品が、多くの人の個別のなつかしい記憶の扉を開くことを目指している。

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  • 2022年 (No.40)
  • カオリ to ミライ

OUR 技術レポート

ジャスミンの香りの
多様性と可能性
~ジャスミン3種の香気分析~

長谷川香料(株)総合研究所
山際浩輝

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< 3分でわかる解説 > ジャスミンの香りの多様性と可能性
 ジャスミンの香りは三大フローラルノートの一つに数えられるほど魅力的なもので、ローズとともに最も好まれ頻繁に使用される香料素材として知られている。ジャスミンの花の香りを有機溶媒で抽出したジャスミンアブソリュートは、天然香料としてなくてはならないもので、香水をはじめさまざまなフレグランス製品に使用されてきた。ジャスミンアブソリュートはジャスミンの濃厚で力強い香りを表現できるが、実際に咲いているジャスミンの花の香りとはかなり異なる。今回私たちは、ジャスミンの花のフレッシュかつ優美な香りに魅力を感じ、それを再現した香料の開発を行うため、生きたジャスミンの花の香気を分析することとした。また、ジャスミンには香りの異なるさまざまな品種があり、品種によって異なる香気特徴を解明することで、より幅広い嗜好性やニーズに対応した香料開発が可能となる。
 本研究では、香りの異なるジャスミンの品種として、ジャスミンアブソリュートの原料となる“ソケイ”、ジャスミン茶の香りづけに使用される“マツリカ”、観賞用として人気の高い“ハゴロモジャスミン”の3種のジャスミンを分析し、それぞれの魅力的な香気特徴を把握した。

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  • 2022年 (No.40)
  • OUR 技術レポート

OUR 技術レポート

SDGs 資源枯渇を防ぐ
新たな香料の役割
~代替肉を中心とする
代替食品向け香料素材の開発~

長谷川香料(株)総合研究所
細貝知弘

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< 3分でわかる解説 > SDGs 資源枯渇を防ぐ新たな香料の役割
 畜産業が環境に与える影響や世界的な人口増加、食肉消費量の拡大とタンパク質不足問題への関心の高まりに加え、近年の健康志向もあり、日本でも代替肉商品である大豆たん白を主原料とした大豆ミートの普及が進んでいる。長谷川香料ではSDGsへの取り組みの一環として大豆ミート向けの香料素材開発を進めてきた。従来の畜肉加工食品では畜肉の風味を生かしつつ、よりおいしくするために調理感やスパイス感の付与、さらに加熱工程で生じる不快臭(オフフレーバー)を選択的に抑制するために香料が使用されてきた。大豆ミートは主原料が大豆たん白であるため、畜肉本来の香りと味がなく、食肉にはないオフフレーバーがあることから、香料により多くの役割が求められている。その中で、大豆たん白臭の抑制、特徴的な畜肉の香り付与、畜肉・動物脂様の呈味付与に注目して開発を進めた。
 大豆たん白の香気分析を行い、大豆たん白臭に寄与する香気成分を同定した。その結果を基に各成分に有効な素材を組み合わせて、オフフレーバーを抑制する素材、マスキングフレーバーを開発した。長谷川香料では牛肉や豚肉、鶏肉、動物脂の詳細な香気分析と有機合成技術を活用して、高品質な調合香料HASEAROMA®シリーズの開発も進めている。この技術と知見を活用し動物性原料を使用することなく、各畜肉タイプに加えて唐揚げ、ハムなど畜肉加工品タイプの大豆ミート向け香料を開発している。
 香りだけでなく呈味の付与も大豆ミートの高品質化には欠かせない。そこで糖、アミノ酸、脂肪酸などを畜肉の特徴に合わせ配合し加熱によりメイラード反応を促進することで、調理感のある畜肉の風味と呈味を付与するプラントリアクト®を開発した。また日本人の和牛に対する嗜好性の高さに代表されるように、動物脂由来の「コクやジューシー感」「脂の甘さ」付与も重要になる。そこで香気分析より見いだされた動物脂のコクに寄与する香気成分を高含有する動物脂様呈味付与素材コクジュワ®の開発に成功した。これらの各素材を組み合わせることで、大豆ミートの食べ始めから咀嚼、飲み込むまで持続する畜肉様風味を付与することが可能になる。
 長谷川香料では、素材開発だけでなく「香料素材の添加効果の見える化」にも力を入れている。最新の評価技術を活用して、大豆ミートへの香料素材の添加効果を可視化することで訴求力向上を進めている。

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  • 2022年 (No.40)
  • OUR 技術レポート

OUR 技術レポート

バイオ技術を用いた
セスキテルペノイド合成法
~鉄還元酵素と鉄キレート触媒の
組み合わせによる新規合成法~

長谷川香料(株)総合研究所
梅澤 覚

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< 3分でわかる解説 > バイオ技術を用いたセスキテルペノイド合成法
 セスキテルペノイドは天然に存在する化合物群の一種で、グレープフルーツの香りを特徴づける(+)-nootkatoneや、黒コショウやシラー種ワインの香りを特徴づける(−)-rotundoneなどの化合物がこのグループに属している。これらは非常に少ない量でフルーツやスパイスなどの天然物の香りを表現できる有用な香気化合物であるが、天然に存在する量が限られるため、工業的な利用には合成手法の確立が重要になる。
 そのような状況の中、われわれは鉄還元酵素と鉄キレート触媒を組み合わせた、セスキテルペノイドの新規合成法を開発した。この手法が従来の酵素合成法と異なる点としては、基質選択の自由度が大きく向上したことが挙げられる。一般的な酵素反応の場合、反応は酵素内部の空間で進行するため、その空間に形状がマッチした基質のみで反応が進行する(基質特異性)。そのため、目的の酵素を探し出すためには数多くの候補をテストする必要があり、時間と労力を要する場合が多い。
 これに対して今回新しく開発した反応系では、酵素の中心構造をモデルとした鉄キレート触媒が酵素の外側で反応するため、基質特異性の制約を回避することができる。そしてその鉄キレート触媒は鉄還元酵素によって活性化されるが、そのエネルギー源には糖を利用する循環型の反応システムとなっており、持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)の理念に合致したモノづくりを目指すことが可能となった。
 近年の香気分析技術の向上によって、セスキテルペノイドを一例とした微量香気成分の発見事例が増えてきている。有用な微量香気成分を活用することで、香料としての品質を高め、優れた製品を提供できるようになるため、その工業的な需要は今後も高まることが予想される。酵素合成法はまだまだ新しい手法を模索する段階にあることが多いが、今回のような研究を続けて知見を積み重ねることで、酵素合成法を利用できる場面は増えていくものと思われる。バイオ技術の最新動向に注目しつつ、酵素や発酵を用いた香気化合物の製法開発にこれからも努めていきたい。

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  • 2022年 (No.40)
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社会の中の香り

サステナブルで香り豊かな
社会を目指す
~香料業界のSDGsへの取り組み~

日本香料工業会IOFI特命委員
大木嘉子

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< 3分でわかる解説 > サステナブルで香り豊かな社会を目指す
 私たちの身の回りにはさまざまなにおいがあり、朝起きてから、夜寝るまで香りに囲まれて生活しているといっても過言ではない。菓子や飲料などの加工食品、せっけん、シャンプー、洗剤などの家庭用品には香料が使用されており、香りによって生活に彩りが添えられている。
 香料は、植物や果物など自然界にある原料からつくられ、最終商品(加工食品や家庭用品)に使用されるまで長い道のりをたどる。その間、あらゆる場面においてSDGsに掲げられた課題と直面している。例えばアイスクリームに使用されるバニラ香料の原料であるバニラは、アフリカなど気候変動の影響を受けやすい地域で栽培されている。このような原料を調達する際には、栽培農家に対する支援を通じた地域社会経済への配慮が必要になる。
 一方、天然原料を枯渇させないために、石油をはじめとする安定供給が見込まれる原料から化学的に合成された香料化合物バニリンを用いるという選択肢もある。バニリンはバニラのにおいの主成分で、合成されたものも天然から抽出されたものも、化合物としては同等といえる。香料で使う合成原料は、安全性を確かめた上で規制を守って使っていくことが大前提となる。
 収穫されたバニラビーンズは、そのままではにおいがないが、キュアリングと呼ばれる熟成工程を経ると、バニラ独特の風味が発生する。キュアリングを終えたバニラビーンズが出荷され、原料として調達した香料会社の工場でにおい成分が抽出加工される。天然原料を使用する、あるいは香料化合物を合成する工程においても同様に、省エネ対策、環境への影響を最小限にすることが必要である。さらに、作業現場で働く従業員の労働安全確保も重要である。香料を使用するアイスクリームメーカー(香料のユーザー企業)に対しては、安全に使用してもらえるよう、香料会社として品質保証書や製品ラベルなどによる情報提供が必須である。
 天然原料の保護や環境への配慮、品質と安全性などの取り組みは、一部は法律で定められているが、各香料会社が独自に研究開発、工夫してすでに実施されているものもある。各社の取り組みを補い、香料産業界全体でSDGs達成に向けて前進するために5つの重点分野(①責任ある調達、②環境フットプリント削減、③従業員の福利向上、④製品の安全性、⑤透明性とパートナーシップ)を骨子として、策定されたのがIFRA-IOFIサステナビリティ憲章である。

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自然科学香話

地球存続の鍵を握る
バイオテクノロジー
-生き物たちの生存戦略に学ぶこれからの科学技術-

早稲田大学理工学術院教授
木野邦器

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< 3分でわかる解説 > 地球存続の鍵を握るバイオテクノロジー
 地球温暖化や感染症など人類は今、地球規模の多くの課題に直面している。産業革命以降の革新的な科学技術の発展により豊かな社会が構築され私たちもその恩恵を受けてきたが、一方でこうした一連の課題は人類の活発な社会活動の弊害と言える。環境問題に関してはこれまで生命体ともいえる地球の自浄能力によって修復が図られてきたが、現在はその能力をはるかに超えている。この環境保全は微生物とその多様性に大きく依存しているが、地球上のさまざまな生命体は独自の代謝系を進化させて、それぞれの生存戦略に基づいて相互関係を築きながら棲息・繁栄をしている。
 近年、ライフサイエンス研究の急速な進展により生命の神秘に関わる多くの発見やシステムの詳細が解明されてきたが、生命の厳密でありながら柔軟性のあるシステムに倣った革新的な技術が、バイオテクノロジーを超えて多くの分野で研究・開発・応用されている。人を含む地球上のさまざまな生物間コミュニケーションや相互作用を理解し、社会・経済システムに応用することは、理想的なバイオエコノミー社会の実現に大きく貢献するものと考えている。
 筆者らは、微生物の機能を高度利用したモノづくり技術の開発研究を展開しているが、緻密で統制のとれた厳格な生命システムに魅了されることが多い。一方で、生物の生存戦略に基づく巧妙で柔軟性のあるシステムの一端を見出し、それをデザイン・活用することでこれまでにない拡張性の高い技術を開発することに成功している。本稿では、L-アミノ酸で形作られているこの地球上の生命システムにおいて、鏡像異性体であるD-アミノ酸の生存戦略上の必要性を明確にした上で、D-アミノ酸を含むペプチドの新たな酵素合成法の開発について紹介した。化学反応と酵素反応の長所を融合させたユニークな化学酵素的反応系の開発によってアミド結合形成を達成することができ、従来にはない光学活性を制御した任意のペプチド合成法の開発に成功した。さらに、環状ペプチドなど特殊構造を有するペプチドや多様なアミド化合物の合成を可能とするプロセスの開発にもつながった。
 微生物の機能を利用するバイオテクノロジーは、多様な産業分野を開拓し、食品、医薬品、化成品、香粧品など多くの製品を創出してきたが、最先端ICTなどの情報工学やAIやロボットなどにおける技術革新を背景に、総合的な知の融合をさらに進めていくことで、地球温暖化を抑制しつつ、持続可能で豊かな社会の実現に貢献する新たなイノベーションが創出されるものと確信している。

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